飛鳥人が見たオオサンショウウオ
現在残っている、日本最古のオオサンショウウオについての記録とは?
そんな疑問にかられ、手持ちの本でそんな記述がないか調べてみたところ、ありました!
オオサンショウウオ道の大先輩にすすめていただいて初めて購入した、オオサンショウウオについての本です。ことあるごとに読み返しているのですが、この本の中で、オオサンショウウオを目撃した記録が載っている古典が挙げられていました。
それによると、
619年 摂津に住む漁夫が、堀に入れた網に「魚でもない、人の子供のようだがそうでもない、奇妙なものがとれた」(日本書紀)←!!
797/8年 宮殿の庭にある溝の中から変な魚がとれたが、それは山の沼にいるものである(日本後記)
852年 近江で猿に似た魚が獲れ、献上された。老人たちは、それは「椒魚(サンショウウオ)」であり、昔見たことがある、と言った。(文徳実録、藤原基経)
人魚感、ありますよね。手とか赤ちゃんっぽいし。
顔も、目と目の間が離れていて口が横に大きくて…このタイプの顔好きなんです、キャメロン・ディアスとか。
ジュゴンが海の人魚なら、オオサンショウウオは川の人魚ということですね。
ということを、619年、摂津の漁夫も感じたわけですね。
摂津ってどこだろう?
現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたるとのこと。ふむふむ。
619年ってどんな時代かというと、なんと推古天皇(聖徳太子の叔母さま)の時代なんですね。飛鳥時代です。オオサンショウウオ数千万年の歴史からしたら大したことなくても、1400年前にオオサンショウウオをつかまえてしまった漁夫の驚きを想像するとロマンです。
次の797年ですが、こちらはどんな時代かというと、坂上田村麻呂が征夷大将軍として東北地方の蝦夷を鎮圧したのがこの年。
この宮殿は都:794うぐいす平安京のことでしょうか。その庭にある溝にオオサンショウウオがいたと。そしてそれは山の、沼にいるものであると。
…沼?
そしてオオサンショウウオの印象は「変な魚」。
これはもう少し、掘り下げて調べたくなります。この場にいた人がいたら話を聞きたい。誰かが山から連れてきて、宮殿の庭の溝に放したの??
そして852年。ざっくり平安時代ですね。このときの都は平安京。
近江はなんとなくわかるけど、滋賀県。琵琶湖のある、2018年には日本オオサンショウウオの会全国大会が開催された、滋賀県ですね。夜間観察会で、生息地にも少しお邪魔させていただきました。
そして、獲れたオオサンショウウオが、献上されたんですね。天皇に?
やはり、珍しかったのは間違いなさそう。今も昔も、年長者の「昔見たことがある、そいつはね、○○じゃよ」っていうやつ、いいですよね。
古典や日本史についての知識がなさすぎて、背景が読み取れていませんが、オオサンショウウオについての日本最古の記録は、どうやら飛鳥時代に遡るようです。
読み書きができて本を残すことができた人なんてほんの一握りでしょうから、ごく普通に、生息地でオオサンショウウオと共存していた生活人たちがどんなふうに彼らと関わっていたのかはまた別な面がありそうですが、、、
先人のみなさまが記録を残してくれて、それを小原先生が読みやすい本に書いてくれて、その本を先輩がすすめてくれたことに感謝です♡